世間体タイプ
自分の考え、例えば「子供が欲しいか、いらないか」などを自分たちで真剣に考え、きちんと相談し合ったことが無く、
「子供作らないの?」「孫の顔を見せろ」などという外圧にただ流されるままに子供を作ってしまうタイプ。
感情的タイプ
避妊具の存在も知っており、使い方も知っている。将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。
だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で
己の「ほとばしるもの」におまかせのタイプ。自分では情にあつく、人間味があると思い込んでるが
他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。
現実逃避タイプ
感情的タイプの親戚のような存在。
「子供でも産めば何か変わるかもしれない」という何の根拠もない理論に任せて出産するタイプ。
「今自分がすべきことは他にある」という現実からは逃げ
手っ取り早い一人前扱いにすがる。たいそうな目標を持って海外留学に旅立ったはずなのだが
留学先で男を作り妊娠、当初の目的も半端のまま帰国し
シングルマザーになるような者もここに分類される。ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで
己の人間としての中途半端さをごまかすわけである。これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。
無能連鎖タイプ
自分が駄目だったから子供に期待するタイプ。
駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。
いくら期待をかけても、結果も親そっくり。そんな基本的なこともわからず、無意味な連鎖を繰り返す。
子供は自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ。
おかしな名前をつけてみたり、下品なブランド物を着せてみたり
自分の趣味を押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ。
彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である。
お国の為タイプ
上記のような理由だけではかっこ悪いから社会貢献などを持ち出して、さも自分が先見の明があったかのように装い
己の人生の歴史を美しく書き換えようとするタイプ。子孫を残したことしか自慢するものがない冴えない男親や
子供を育てたことぐらいしか自慢するものがない主婦に多い。
科学者タイプ
「何億もの精子の中で自分が選ばれ生まれてきた」
「生命の神秘」「奇跡」などと、現象の面白さばかり取り上げ「そうして生まれてきたものが果たしてどれだけのものなのか」
という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、ただ己の好奇心にのみ生きてるタイプ。
・番外編・ オカルトタイプ
「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ。
自身の信仰する宗教や宇宙観を押し付けるのもこのタイプ。
よくオカルト世界では「人生は魂の修行の場」と言いますがなぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?
「前世の罪を償う為」という理屈もよく聞きますが善悪なんてものは元々人間がルールとして決めたものに過ぎず
人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに魂を管理する神はずいぶんと粘着体質ですね(笑)
私が神ならもっと良い修行方法を考えますがね。
それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、子供は生むべきではない、と主張する。
子供を生むことは、多くの動物がそうしているように単に何も考えずに性的欲求を満たすための行動である性行為の結果として引き起こされている現象であるか
または生む側の欲求を満たすために引き起こされている現象であるか(例えば子育てしてみたいといった欲求を満たすため、自分の老後の世話をしてもらおうという計算の為)
または判断するさいに生の質(QOL)を不当に高く誤評価していること(ポリアンナ効果)から起きている現象である、とする。
ベネイターはチャイルド・フリー(en:Child free)のような立場と自身の立場をはっきりと区別する。チャイルド・フリーのような考え方は
自分のライフスタイルを維持することを考えて子供を持たないという立場を取るが
ベネイターは親の都合ではなく、生まれてくる人間の観点に立って、その上で生むべきではない、と主張する。
つまり生まないことは、多くの人に取ってはある種の我慢が必要な事ではあるが生まれてくる人間のことを少しでも真剣に考えるのならば、子供は生まずに我慢すべきだ、とする。
ベネイターは人口爆発の問題について言及している。ベネイターは地球上の理想の人口はゼロであるとしている。つまり人間は絶滅した方がよい、と主張している。
とはいえ即座に人類絶滅を目指すのは生まれてきてしまった人たちにとって大きい苦痛を伴うものとなるであろうから
少しずつ段階的に人口を減らしていき、最終的に絶滅する、つまりゆるやかに絶滅していくのが良いだろう、としている。
ちなみにヒトに限らず、他の感覚を持った生物も、まったく生まれてこない方が良かった、つまり絶滅してしまった方が良い、としている。
ちなみにこの生の苦の問題に関し、こうした文章を読んでいる人間は「すでに手遅れである」とベネイターは言う。それはすでに生まれてきてしまっているからである。
彼の著書 Better Never to Have Been は両親と兄弟に捧げられている。
両親に(私を生んでしまったけれども)、兄弟に(生まれてきてしまったけれども)、という形で献辞されている。
wikipedia デビット・ベネイターより引用
よ く 考 え て く だ さ い。
生まれた子供はどういう目に遭いますか?
また、どんな目に遭う可能性がありますか?
想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。
また、親の想定外の幸福も有り得ますが、
想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。
・「自分の子に限って…」とか「ウチは大丈夫」とか…。
本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。
・全ての苦痛は生まれる事によって生じます。
悲惨な状況を色々とイメージしてください。
生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。
・子供が悲惨な目に遭った時。原因は誰にあるのでしょうか。
どんな場合でもハッキリ言える事は、
親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。
親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。
この問題から逃げないでください。
・子供が欲しい方へ。
何故子供が欲しいのか、よく考えてください。
考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。
一つ目はまんま、「子作り=博打」。
即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。
賭け物は子供。
要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。
賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。
賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。
(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)
二つ目は、「人生=博打」。
即ち、子供の人生がどうなるかは博打的要素(運)に依存する。
生まれた子供は博打に強制参加させられ、
勝てば(運が良ければ)幸福な人生を。
負ければ(運が悪ければ)苦痛に満ちた人生を送る。
(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)
子作りとは、この2つの博打を別々に行う事と理解して欲しい。
この博打の性質として、一つ目の博打も二つ目の博打も常に絶えず打ち続ける事になる。
その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である。
俺の親はオカルトタイプだな「あなたが望んで生まれたんでしょ!!!!!」って言われたことがある
4ねよ金ねぇ癖に3人も産みやがって
「客観的にも」一番確実で効果があるだろ
まだ見ぬ子供の為にどうしてもこの説を流布しておく必要があるってなら
もっと堂々と主張して伝えやがれいっそ選挙活動でもしたらどうだ?
親離れしろよ
元スレ:https://vipper.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1455694338/
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