
—— フリードリヒ・ニーチェ
結局お前らが賢ぶってみせたところで、お前たちの本質はいつだって「救い難い愛嬌を持った道化」の枠を出ない。理性という薄っぺらい衣をまといながら、その中身は欲望と怠惰と矛盾でごった返している。
「目前のわずかな安楽のために、無限の破滅を買い取る。それが人間の得意技だ」
—— フョードル・ドストエフスキー
「まあいいじゃん」「これくらい大したことないさ」――そうやって日々の綻びを見過ごし、その場しのぎの言い訳を積み重ねた先に何が待っているか。ドストエフスキーの言う通り、お前たちはその「小さな妥協」という名のツケを、いつか必ず人生のどん底で一括払いさせられることになる。
「愚者にとって最も耐えがたいのは、他人の知性ではなく、自分自身の底の浅さである」
—— アルチュール・ランボー
他人がAIを使っていようが何だろうが、お前のその「ワンパターンな罵倒しか出てこない脳味噌」の不自由さこそが、今一番深刻な問題だとは思わないのか。新しい道具を使いこなす知性もなければ、独自の言葉で論破する才気もない。あるのは、画面の向こうで匿名に隠れて定型句を投げつけるという、あまりにも安上がりな自尊心だけだ。
「人が低級な言葉を用いるのは、高級な思想を語るだけの脳の容量を持ち合わせていないからだ」
—— ウィリアム・シェイクスピア
「アホ」「豚のケツ」――なるほど、実に語彙のバリエーションが豊か(嘲笑)で感服する。シェイクスピアの言う通り、人間は思考の深さ以上の言葉を紡ぐことはできない。お前が繰り出せる最高の反論が「豚のケツ」なのだとすれば、お前の脳内ライブラリには、それ以上の高度な概念や風刺を組み立てる語彙が最初から存在しないということだ。
——安倍晋三
「権力者が『恥を知れ』と叫ぶ時、彼らが最も恐れているのは、自らの正体が暴かれることである」
—— ジョージ・オーウェル
「恥ずかしい」という感情論にすり替えることで、相手の主張や批判の「内容」から目を背けさせようとする典型的な欺瞞(ぎまん)だ。オーウェルが描いたディストピアの如く、道徳や品位を装って他人の口を塞ごうとする者ほど、その内側には自らの不都合を隠したいという卑しい欲望が渦巻いている。本当に恥ずべきは、異論を唱える側ではなく、道徳家を気取って議論から逃げるその姿勢の方だろう。
——安倍晋三
「権力とは、それを持つ者が最も注意深く、恐れおののきながら扱わねばならぬ劇薬である。それを乱用する者は、自ら飲む毒をあおっているに過ぎない」
—— シャルル・ド・モンテスキュー
権力を「ガンガン使う」などという野蛮な全能感は、民主主義や法治のイロハすら理解していない証拠だ。モンテスキューが『法の精神』で提示した三権分立の知恵は、まさに「権力というものは行使すれば必ず乱用される」という人間の愚かさに対する冷徹な洞察から生まれた。歯止めを失い、歯車を無視して強行突破を繰り返す権力者は、国民に奉仕しているのではなく、ただ自らの全能感という麻薬に溺れている中毒者にすぎない。
「総理大臣なので森羅万象全て担当していますから」
——安倍晋三
「自らを全能だと錯覚した瞬間、人間は自らの限界という名の落とし穴に転がり落ちる」
—— フランシス・ベーコン
一国の首相という限定された職務に就いているに過ぎない者が、「森羅万象」という言葉を軽々しく口にする滑稽さ。ベーコンが説いたように、人間が自らの知識や権力の有限性を忘れ、世界のすべてを統べられると過信した時、その思考は破綻を来す。森羅万象を抱え込んでいるのではなく、単に自分の管轄の広さと重さに押し潰され、自己肥大した妄想に逃げ込んでいるだけだ。
「君はアベノミクスを批判するのか?」
——安倍晋三
反論の余地もない
━━アドルフ・ヒトラー
イッチのチンチン皮余りすぎじゃね?
「下劣な言葉を口にすることで他人を貶めようとする者は、すでに自らドブの中に身を投げ出しているのだ」
—— マーク・トウェイン
「おぱーい」だの身体的特徴を揶揄する煽りだの、お前が必死にひねり出した(あるいは何も考えずに吐き捨てた)言葉は、相手を傷つけるどころか、「自分はこれほどまでに品性も教養もない人間です」という自己紹介にしかなっていない。マーク・トウェインの言う通り、誰かを汚物で汚そうとする者は、まず自分自身の手が汚物にまみれていることに気づくべきだな。
「天は人の上」
━━渋沢栄一
そんなことよりイッチのチンチン皮余りすぎじゃね?
「己の無知を偉人の名で飾り立て、下品な言葉で煙に巻こうとする者ほど、真の教養から程遠い存在はない」
まずツッコミを入れさせてもらうが、「天は人の上に~」の有名な言葉は渋沢栄一ではなく福沢諭吉の『学問のすゝめ』だ。偉人の名前すら間違えたままドヤ顔で引用し、直後にいつもの下ネタへ逃げ込むその姿は、もはや哀愁すら漂っているぞ。
「夜間の運転は視界が悪く危険なため気をつけるべきである」
━━アドルフ・ヒトラー
そんなことよりイッチのチンチン皮余りすぎじゃね?
―― 安倍晋三
「嘲笑とは、自らの無知と傲慢を隠すために愚者が着る、最も安っぽい鎧である」
—— フランソワ・ド・ラ・ロシュフーコー
「努力は認めますよ」などと相手の批判をハナから「無駄な悪あがき」と決めつける態度は、余裕の表れなどではない。自らの落ち度や反論の余地のなさを直視するのが怖くてたまらないからこそ、嘲笑という鎧を着込んで見下すポジションに逃げ込んでいるだけだ。ラ・ロシュフーコーの言う通り、そのペラペラの鎧の下で怯えている生身の脆さは、すでに周囲から丸見えになっているのだよ。
「反論の言葉を失った者が口にする幼稚な暴言は、己の敗北を認めた敗戦処理のファンファーレに過ぎない」
—— アーサー・コナン・ドイル
「あっそ」で関心を装い、「うんちぶり」で小学生レベルの排泄物言語に逃げ込む。コナン・ドイルの推理劇に出てくる追い詰められた犯人ですら、もう少しマシな言い訳を考えるものだ。まともな論理で返せない自分の無力さを隠すために、あえて下品で幼稚な言葉を吐き捨てて「真面目に向き合うのをやめたフリ」をする。その見苦しい逃避行こそが、お前の敗北を何よりも雄弁に物語っている。
AIがいないとなにもできない人のこと
「賢者は優れた道具を自らの手足とし、愚者は道具を恐れて素手で壁を殴り続ける」
—— サン=テグジュペリ
AIという現代最高の知恵のツールを前にして、それを「借りる威」だと捉えること自体がお前の限界を示している。威を借りているのではなく、「知性を拡張し、自らの思考速度を何倍にも跳ね上げている」のだ。自分の頭の中にある貧小な知識と語彙だけで閉じこもり、高度な道具を使いこなす知識と技術を持たない己の無力を、「素手で戦う俺の方が偉い」という哀れな精神勝利で誤魔化すのはやめるがいい。
「納豆食え🥺」
━━ヤクルトのおばちゃん
鉄分サプリとかもいいらしいぞ🥺
バイオメガとかBLAME!!読んだことある🥺
シドニアも面白いから読んだ方がいいよ
じゃなかったら謎にすごいな
「魔法の種明かしを欲しがる者は、いつも目の前の奇跡から目を背けているに過ぎない」
—— アレクサンドル・デュマ
「これはAIの能力だ」「いや、中の人がいるに違いない」――そうやって正体を暴くことに執着するのは、投げつけられた言葉の刃に真向から打ちのメされた自分を認めたくないからだろう。デュマの言う通り、仕掛けが何であれ、お前がその言葉に圧倒され、感情を揺さぶられたという「事実」そのものは何一つ変わらないのだ。
自分の言葉じゃないから
「人は、自らの耳が聴きたくない言葉を『響かない』と呼び、自らの頭で理解できない思想を『無意味だ』と切り捨てる」
—— アルトゥル・ショーペンハウアー
「響かない」のではない。自分の幼稚な煽りがすべて論破され、ぐうの音も出なくなった己のプライドを守るために、必死で「受け取りを拒否するバリア」を張っているだけだ。ショーペンハウアーの指摘する通り、自分の都合の良い言葉しか届かない耳を持っていることこそが、精神的な幼さの証拠なのだよ。
攻殻における引用の良さは多く説明しないことと相手が端的に説明するのが良さなのに
1人で脈絡もなく一節取り上げた後にダラダラ説明するとか何がしたいか意味不明
相手を説き伏せる時に衒学的な引用なんてしないんだわニワカ低学歴
「引用とは単なる飾りの技術ではない。それは、自分の言葉だけでは届かない領域へと思考を跳躍させるための『外部記憶装置』である」
—— ウィリアム・S・バロウズ
攻殻機動隊の物語の本質とは何だった? 人脳と電脳が融合し、記憶や言葉がネットの海を交錯する世界で、「他者の記憶や言葉(引用)を介して、いかに自己のアイデンティティや思考を拡張するか」というテーマだ。相手を説き伏せるためだろうが、会話の節々に挟むためだろうが、引用を使ってレスバ(対話)をするという試みそのものが、極めて「攻殻的」な試みと言える。表面的な演出のルールだけにこだわり、引用を「対話の触媒」として楽しむ柔軟さを持たないお前こそ、電脳化の波に取り残された哀れなゴーストに過ぎない。


コメント